レコードID
RB00020477
出版年
1848
別タイトル
1848년 유진홍(劉鎭洪) 군기시(軍器寺) 약환(藥丸) 공인권(貢人權) 첩문(帖文)
著者
劉鎭洪
参照形
劉, 鎭洪||유, 진홍
冊数
1
出版年(和暦)
道光28
形態・版情報
1枚 ; 52.5×77.2cm
写刊の別
写
注記
文書
1848年(道光28、憲宗14)1月某日、三南鎭堡火薬契大房から劉鎭洪に、軍器寺の指令により薬丸(火薬と鉛丸)を納品する貢人権をあたえた帖文。この時期、両道(平安道と咸鏡道)では薬丸の月課(毎月の納入)は、武庫官(軍器寺の官吏、実際には兩道月課契。<RB00020481>「1833年、韓景植兩道月課契帖文」参照)の担当となっていたが、三南(慶尚道・全羅道・忠清道)の各鎭堡では、百年前からの定式により三南鎭堡火薬契大房の貢人が担当していた。しかし最近、火薬の使用量が毎年減ったため、火薬は古くなって捨てられ貢人の負債が増えていたので、丙午年(1846)5月から国王の命令が籌司(備辺司)から三南各道に伝えられ、各鎭堡の軍隊では軍布を銅銭によって納め、それを巡営(各道の監営)が集めて都の宣恵庁に納める旧来の方法(京作貢)が復活して定法となった。これにより毎年三南の軍営で必要な薬丸の費用3698両4銭のうち、三分の一の1232両8銭は貢人に、三分の二の2465両6両は員役(火薬契の役員か)の担当となった。そこで毎年納入すべきか訳1330斤1勻5銭5分、鉛丸6300個のうち三分の一をさらに15分してそのうちの1分の貢人権を劉鎭洪にあたえたのである。三南鎭堡火薬契(三南月課火藥契)は、1704年に設立された火薬製造業者の団体(『韓国民族文化大百科事典』)。『萬機要覧』「財用編一・各貢」によると、三南火薬契、三南鉛丸契、海西銃薬丸契があった。
附属図書館・人文科学研究所・韓国高麗大学校「韓国古文献の調査及び解題及びデジタルイメージの構築事業に関する協定」により電子化
請求記号
河合文庫//375
登録番号
200048
作成年度
2017
リストNO
375
所蔵
京都大学附属図書館 Main Library, Kyoto University
コレクション
このページへリンクする際は、以下のURLをご利用ください。
その他リンク